ダンゴムシに心はあるのか
森山 徹 (著) PHPサイエンス・ワールド新書 (2011)


ダンゴムシの行動をじっと観察しながら、「心」について考察した本。


著者にとっての「心」とは「内なる私」もしくは観察対象における「隠れた活動部位」。
隠れた活動部位というのは、「未知の状況」における「予想外の行動の発現」
によって観測することができる、と考えている。
具体的に、それはダンゴムシにとっての、次々に現れる壁に対する対する壁上り行動だったり、
水で囲われたアリーナからの逃避における、浸水行動だったりする。
(普通ダンゴムシはものの上に這い上がったり、水に入ったりしない。)
ここから、ダンゴムシに心はあるのだという仮説を提唱している。(私感としてまだ「仮説」。)


未知状況における、突飛な行動という意味ではダンゴムシの他によく知られたもので
イトヨ(という魚)の穴堀行動というのもあるらしいが、著者に取ってはそれは心の発現とは別。
これは攻撃と逃避の葛藤行動から生じたものであり、自発的にイトヨが選んで、
穴を掘っている訳ではない、ということを主張している。
ダンゴムシの実験では条件をさらに複雑にして、この葛藤に動機がない、浸水行動を証明している。


動物、虫の行動は昔から不思議で、面白いと思っていたけれど、こうやって理詰めでどんどん
積み上げて行くと、興味が深まるばかりでさらに面白い。
ただ、こういった研究は著書にも書いてある通り、なかなか結果が出るとは限らず「待つ科学」とも言える。

相手に潜む見えない能力、すなわち「心による、余計な行動の抑制=潜在化」は、このように、「働きかけて、待つ」ことで明らかになります。このような待つ態度は、「悠長」で「贅沢」のように見えますが、やってみるとそうでもありません。いつ結果が出るかわからない実験は、研究者に取って死活問題です。
(中略)
しかし、研究者が、待つという形で苦しむことなしに、観察対象における「予想外の行動」の発見はあり得ないと思います。それは、観察対象とともに予想外の行動の産みの苦しみを共有するということです。

そして、具体的には生物実験においてビデオ撮影では見逃してしまう予想外の行動、について注意を喚起する。


ちょっと、予想外の行動の発現=心の発現、というところにはまだ論理の飛躍がある気がしてしまうが、(他の理由、可能性を消去しきれていない。)
全編を通して、観察対象や、研究室の学生への尊敬ややさしいまなざしが伝わる良本。


ま、一番早いのはダンゴムシがしゃべって「あっぶねー」とか「お腹すいた」とか言えば、こんな苦労しないのにね。

ダンゴムシに心はあるのか (PHPサイエンス・ワールド新書)

ダンゴムシに心はあるのか (PHPサイエンス・ワールド新書)