「最近の若い人は・・・」という話は好きではないが,ふとそういう話になった.
インターネットが十分普及した現在は,10年以上前に大学生だったわれわれに比べ,アクセスできる情報量が途方もない.なのに,なぜもこんなにデキがよくないのかと.


微分方程式を解こうにも,テイラー展開をしてがんばるか,勘を磨いて変数分離するかしかない.教科書の巻末の回答には1行の答えしか書いていないから,なんでそうなったか,途中過程が分からない.そうして得意な人に聞きに行くか,先生のところに教えを請いに行くか.
はたまた,微分方程式を数値解析するにしても高度なプログラミング知識がないとダメで,ましてはパソコンの容量が640MB,メモリが2MBなんというのもザラだった.現在のメモリが8GBなんて,夢のような話だった.
ところが現在.多くの大学はMathematicaと呼ばれる高度な数値解析ソフトを導入していて,大学のライセンスがあればフリーで使える*1
MathematicaTeX程度の知識があれば使える.そこに式を書くだけで,答えだけはなく,途中計算も,グラフも全部応えてくれる.
さらにMathematicaでなくても同じ会社のWolfram Alphaはインターネット上で誰でもフリーで使える.Googleの検索窓のようなところに,式を入れると応えてくれる.
大学生のとき,解けなかった微分方程式.あのとき,これらが使えたら,と何度思ったことか.


さらに遡ると,私は小学生のころ,天文が大好きだった.図鑑の「宇宙」と「天文」を読み込み,月刊「天文」を読み込み,新聞の天文に関する記事がれば飛びつき,独自でノートを作ったりして必死に情報収集していた.それでも例えば,海王星の直径がよくわからなかったり,私の天文ノートの「空き」の部分がなかなか埋まらなくて困った覚えがある.
しかし,今やインターネットで「海王星」と検索するだけで無数の情報がリストアップされる.0.21秒で約 5,950,000 件だ.トップに出てくるWikipediaだけでも十分すぎる情報量.NASAJAXAといったまぶしい名前も目につく.
そこから英語のページに飛ぶと「Neptune」で,さらに多くの情報,さらにはその引用文献までリストされる.小学生の私に取っては恐るべき世界.
英語も勉強したかったから,もし,当時の私がいたら寝食惜しんで翻訳して,大変なことになっていたんじゃないかと思う.もっとも,翻訳も現在は自動でやってくれるので,そんなに苦労もしないかもしれない.


翻って,じゃあ現在の子供,大学生がそれらをフル活用すると,趣味にのめり込んだり,悩む時間,調査する時間も節約できて,たいそう豊かな生活をしているんじゃないかと思うのだけれど,実はそんな感じでもない.
余った時間は,ただ無為にそのままインターネットの魑魅魍魎の情報の世界をさまようことに費やしたり,手の込んだゲームに費やしたりとなんだか非生産的だ.
余った時間で,豊かな生活を送ればいいのに.家族や友人との時間,ゆったり散歩や読書をすること,ちょっと旅に出ること,執筆,スポーツなど今まで出来なかったことに挑戦するなど,生活を豊かにできる要素はたくさんある.


学者の生活だってそうだ.グラフは手書き,編集者とのやり取りは郵送,論文の検索は図書館で1つ1つ,情報管理も書棚の中でといった時代と現在.生産性は大きく変わっているはずなのに,さして豊かな研究ができているとは思えない.(もちろん,一部そういうのはあるだろうけれど.)
とりあえず,手を動かして描画ソフトで「きれいな図」を描いて,ゴミみたいな文章を垂れ流して,それで満足してしまって,深く考えてないのではないかと,思う.自分で.激しく反省.


これでは,小学生の自分に申し訳が立たない.
今の時代は,あんなに欲しがっていた天文の情報*2が,ただで,ほぼ無尽蔵に手に入るのに,今の私はあのノートをちゃんと完成させる意思を持ち続けていますか.
結局,別の寄り道をして,やめてしまっていませんか.


私の命は一度だけ.考えた一歩一歩で,大きな方向へと進めるだけ進めよう.

*1:正確には,当時はすでにMathematicaは登場していて,使えたとは思えるのだが,少なくとも私の周りでは一般的ではなかった.

*2:例えば,新聞をバッ広げて宇宙の「宇」の文字がある位置や天文の「天」の文字の位置に即座に注目できるレベルだった.